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顧客価値はどう変わる?:アンソロピック初のテクニカルPMから学ぶ営業・サクセスの実践ガイドライン

作成者: 弘子ラザヴィ|Jul 31, 2026, 4:00:00 PM

2023年、アンソロピック(Anthropic)のプロダクトチームはエンジニア5名でした。当時、同社初のテクニカルプロダクトマネージャーとして入社したのが、ダイアン・ペン(Diane Penn)氏です。

現在は、AIリサーチおよびLabsチームのプロダクト責任者として、Claude 2からFableまでのすべてのモデルリリースに関わり、Claude Code、MCP、スキルといった製品の立ち上げを担ってきました。

そのペン氏が、2026年7月に語ったのは、モデルの性能の話ではありません。AIが急速に進化するなかで、人間の仕事の中身がどう変わり、どこに価値が残るのかという話です。それは、AI企業やSaaS企業だけの話ではありません。顧客と向き合い、そこから大きな売上成長を生み出す営業とカスタマーサクセスが活躍する多くの企業にとって直接的な示唆があります。

本稿では、ペン氏との対談「なぜAIは(再び)バーティカル化しているのか」の内容を基に、日本企業の経営者・事業責任者にとって重要な4つの論点を抽出し、そこから導かれる日本企業への5つの実践指針について筆者の考察をまとめました 

1. アンソロピックの初期メンバーでプロダクト責任者のダイアン・ペン氏とは何者か?

ペン氏は、アンソロピックのAIリサーチチームおよびLabsチームでプロダクトを統括する人物です。3年以上前、同社初のテクニカルプロダクトマネージャーとして入社しました。

担当してきた領域は広範です。Claude 2からFableまで、すべてのモデルのリリースに関与しています。製品としてはClaude Code、MCP、スキル、Claude Designの立ち上げに携わり、機能としてはコンピュータ利用(computer use)、ツール利用(tool use)、推論(reasoning)といった中核部分を担当してきました。

キャリアの出発点は、意外にもAIではありません。JPモルガン・チェースでハイイールド債のトレーダーを4年間務めています。当時の彼女はトレーディングフロアで唯一の女性でした。その環境で学んだのは、「たとえ最も年次が低くても、最も良いアイデアとそれに対する確信こそが最も重要である」ということだったと語っています。この仕事観は、後述する「判断力」の話と深くつながっています。

ペン氏の話がユニークなのは、語られる内容が抽象論ではないことです。「AIで働き方が変わる」といった一般論でなく、どの業務プロセスが何に置き換わったのかが、具体的な数字とともに語られています。しかも主題は「モデルの性能」ではなく「人間の役割の変化」です。AI業界の内輪の話ではないため、業種を問わず自社に引き寄せて読むことができます。

 

2. アンソロピックの最前線で働き方はどう激変しているのか?

日本企業の営業・カスタマーサクセス組織にとって直接示唆のある4点に絞って解説します。

2-1. 「Eval(エヴァル)」がPRDにとって代わる:Evalとは何か?

かつてプロダクトマネージャーの中心的な成果物は、詳細な製品要件定義書(PRD)でした。しかしペン氏のチームには「EvalこそがPRD(Evals are the new PRDs)」という言葉があります。

Eval(エヴァル)とは、「評価する」を意味する「evaluate」の略語で、AIの出力が期待どおりかを評価・判定するための具体的な入力と正解のデータセットです。

Claude 2の時代、ユーザーから「Claudeは指示に従わない」という不満が寄せられていました。この声をそのまま開発者に渡しても、何も改善しません。

そこでペン氏は、ユーザーに対し「どういう状況で起きたのか」「実際にどの段落を書いたのか」「何を頼んだのか」「Claudeは何と返したのか」を、細部まで掘り下げて聞きました。結果、この不満の約80パーセントは、Claudeが正しいJSON形式を出力しないことが原因だと特定できたのです。

次に彼女は、失敗している例を30個から40個ほど集め、「この入力に対しては、この出力が正解である」というセットを作りました。これがEvalです。

以降、新しいバージョンのClaudeが出るたびに、このテストを実行しています。現在の合格率は100パーセント、あるいは99.9パーセントであり、この課題はすでに痛点ではなくなりました。

ペン氏はこう言います。

ピクセルに汗をかくのと同じくらい、トークンに汗をかかなければならない。

かつてユーザーインタビューで画面遷移を追ったように、今はAIとのやり取りの記録そのものを読み込む必要があるという意味です。これは、テストを先に書いてから開発に入る「テスト駆動開発」の考え方が、企画職の仕事にまで広がったことを意味します。

なお、PRDが完全に不要になったわけではありません。大人数を同じ方向に向かわせるとき、また、まだ誰も作ったことのない領域を探索するときには、依然として有効だと彼女は明言しています。

2-2. 年間10万ドルのトークン消費が未来を創る:先行者利益がなぜ生まれるのか?

対談では、Yコンビネータ(Y Combinator)のプレジデントであるゲイリー・タン(Gary Tan)氏の言葉が紹介されます。

今、AIトークンに年間10万ドルを費やしている人は、2028年の生き方を先取りしている。

ここで関連する新しい言葉を紹介します。トークン・マキシング(token maxing)とは、AIの利用量を、コストではなく投資と捉え、意図的に使い倒すことで将来の働き方を先取りする姿勢です。

数年後にはコストが下がり、誰もがその働き方をするようになります。だからこそ、今それを実践することに先行者利益があるという主張です。

先行者利益が生まれる理由は、コストが下がる前に「何ができるか」を知っている状態を作れることにあります。ペン氏はこう言い切ります。

技術がこれほど速く動いているとき、技術に触れずに完璧な戦略を作ることは非常に難しい

戦略を考えてから使うのではなく、使いながら戦略を見つける順序に変わっているということです。そのうえで、ペン氏は重要な点を補足します。

トークン消費はあくまで「入力」であり、本当の「出力」は実験である

つまり目標に置くべきはトークンの消費額ではなく、そこから生まれた実験の数だという整理です。

もう一つ強調されるのが、実験は個人競技ではない、という点です。

初期のアンソロピックには、ほぼ全社員が参加するSlackチャンネルがあり、誰もが初期バージョンのClaudeを試していました。誰かが試したアイデアに別の誰かが変化を加え、10回ほどのやり取りを重ねるうちに、新しい使い方が生まれてくる。彼女はこの過程を「共同的な発見」と呼んでいます。

象徴的事例が、Golden Gate Claudeです。解釈可能性の研究成果を、エンジニア、プロダクト、デザイン、研究チームが集まって24時間で製品体験に仕立てました。届いた人数は約2,000人にすぎませんでしたが、「自分たちは新しいユーザー体験を作れる」という自信につながったと振り返っています。

2-3. 自分の強い意見(POV)をもちAIに反論せよ:脳の腐敗はどう防げるか?

AIを使いすぎると自分で考えなくなる。いわゆる「脳の腐敗(brain rot)」への懸念に対し、ペン氏の答えは明快です。

まず自分自身のPOV(Point of View、自分なりの見解)を持ち、その後にClaudeと壁打ちする。そして自分の感覚と語調を最後まで保つ。

順序が決定的に重要です。AIに問いを投げてから考え始めると、思考の出発点がAIの出力になります。先に自分の仮説を言語化しておけば、AIの出力は検証材料に変わります。同じツールを使っていても、この順序の違いが結論の質を分けます。

そして反論は、双方向でなければ意味がありません。ペン氏が指摘するのは、Claudeに組み込まれた安全性とアライメントの研究が、AIを従順にするためのものではないということです。

あなたにただ同意するだけのAIは、求めているものではありません。

思考のパートナーとは、同意する存在ではなく、議論を通じてあなた自身の結論を良くする存在です。彼女自身、次期Claudeの価格設定が妥当かどうかを、研究版のOpusに問いかけて検証しています。

ただ、彼女はすべてを自分で考えるべきだとは言っていません。ここが実務上とても重要な点です。

月次事業レビュー(MBR)のような文書について、ペン氏は「書くという行為の価値は、考えるという行為の価値に比べて明らかに低い」と述べ、この種の文書はClaudeに完全に委ね、自分は検証者・承認者に回りたい、さらに「誰が書いたかよりも、誰が検証し、誰が承認したかのほうが重要」といいます。

考えることに価値がある仕事は、自分のPOVから始める。書くことに価値がない仕事は、完全に委ねて検証に回る。この2つを混同しないことが、AI活用の分岐点になります。

2-4. 人間の価値は「判断力」と「粘り強さ」:AI時代に勝ち残るには?

ペン氏が挙げる、人間に残る価値の第一は「判断力(Judgment)」です。判断力とは、膨大なニュアンスと経験の蓄積です。AIシステムは、人間ほど多くの経験をしていません。だからこそ、長年かけて獲得したこの判断力は、これからも重要であり続けると彼女は述べます。

彼女の言葉を借りれば、AIが作れるものは無数にあります。そのうち、どれを作るべきかを決めるのが人間の仕事です。そしてそれを実現するために必要なのが、粘り強さ(persistence)プロアクティブさ(proactivity)です。

ここでの「プロアクティブさ」とは、予定されたことを実行することではなく、新しいアイデアをいつ出すべきかを知っていることを指します。

判断力が必要な理由は、技術がジャギッド・エッジ(jagged edge)を持つからでもあります。ジャギッド・エッジ(jagged edge)とは、AIの能力が均一に伸びるのではなく、領域ごとにギザギザに伸びる性質を指します。

実際、エージェント的な振る舞いが飛躍的に伸びた結果、今度は文章力や語調が相対的に粗く見えるようになりました。どの能力が今どのレベルにあり、自社のどの業務に当てはめられるのかを見極めること自体が、人間の判断力の仕事です。

そしてもう1点、AI時代に勝ち残るための条件として、マネジメント層への直言があります。良いマネージャーであるためには、自分自身が深くハンズオンで、実際に世に出すところまで経験している必要がある、というものです。

ペン氏は経験豊富なプロダクトマネージャーを採用する際も、若手とまったく同じオンボーディング計画を課しています。

彼女自身、モデル開発のたびに1本から2本のワークストリームを自分で担当し、モデルがどれだけ速く良くなっているかの肌感覚を保ち続けています。理由は明確です。自分で作った経験がなければ、何が良いAI製品なのかを判断できないからです。

 

3. 営業とカスタマーサクセスのリーダーが答えるべき論点は何

繰り返しますが、以下はAI企業やSaaS企業だけの話ではありません。顧客と継続的に向き合い、そこから売上を伸ばそうとするすべての企業に共通する論点です。

3-1. 顧客の漠然とした不満を、具体的な評価基準に翻訳できていますか?

営業やカスタマーサクセスの担当者は、日々「使いにくい」「うちの業務に合わない」という声を受け取ります。それをそのまま開発部門や商品企画に流している組織はスケールしません。声の数だけ要望が積み上がり、どれから手をつけるべきか誰にも判断できなくなるからです。

ペン氏が「Claudeは指示に従わない」という声を「80パーセントはJSON出力の失敗」まで分解したように、顧客の不満の根源を第一原理で特定するところまでが、顧客接点を持つ部門の仕事です。

アクションは2つです。

1つは、記録の粒度を変えること。「顧客が何と言ったか」ではなく「どの操作の、どの瞬間に、何が起きたか」を残す運用に切り替えます。

2つ目は、その記録から共通の根本原因を抽出し、開発側がそのままテストできる形にすることです。

明日からできること:
直近3か月の解約理由と失注理由を10件読み直し、同じ根本原因でくくれるかを試してください。全体の8割を占める原因が1つ見つかれば、それが最優先の開発テーマになります。

3-2. AI利用料を「経費」ではなく「実験予算」として扱っていますか?

多くの日本企業では、AIツールの利用枠がコスト管理の対象になっています。しかし利用枠を絞ることは、実験の数を絞ることと同じです。

ここで重要なのは、ペン氏の補足のとおり、評価すべきは消費額ではなく、そこから生まれた実験の数だという点です。「年間10万ドルを使え」という話ではありません。「実験の数を目標に置け」という話です。

アクションは、営業・カスタマーサクセス組織に上位モデルを実務で使わせたうえで、KPIを「AI利用額」ではなく「今月生まれた新しい使い方の数」に置くことです。対象になる領域は、顧客データの分析、商談準備、提案書の下書き、問い合わせ対応の自動化、議事録からの次アクション抽出など、すでに手元にあります。

ただし日本企業では、情報セキュリティ規程が実験の最大の障壁になることが少なくありません。制限を一律に緩めるより、実験を許可する範囲を先に決めるほうが現実的です。顧客名を含まないデータであれば自由に使ってよい、社内資料ならば制限なし、といった線引きを最初に引いてください。

明日からできること:
「今月、AIで新しくできるようになったこと」を共有する場を、月に1回30分だけ設けてください。

3-3. 実験を個人技ではなく、チームスポーツにできていますか?

AI活用が一部の器用な担当者の属人技で終わる組織は、組織全体の生産性が上がりません。

アンソロピックの全社Slackでは、誰かのアイデアに他の人が変化を加え、10回ほどのやり取りで新しい使い方が生まれていました。ペン氏は「一人で完璧な使い道を探そうとすると作業のように感じられるが、他の人と一緒に取り組むと楽しさになる」と語っています。

もう1つ、彼女が強調するのが「深さ」です。

世に出ているプロトタイプや製品の数に追いつくことは不可能なので、自分は1つか2つに絞って深く使い込むようにしていると述べています。ポッドキャストのホストであるレニー氏も、読者調査から同じ結論を得たと語っています。満足度が高いのは、多くのツールを浅く試している人ではなく、少数の用途を深く解決した人でした。

アクションは、AI活用の成功例を共有する常設チャネルを作り、失敗例の投稿も歓迎することです。そのうえで、全社的に広く薄く試させるのではなく、業務を1つか2つに絞って深く改善させてください。

明日からできること:
社内で最も熱心にAIを使っている社員を1名特定し、その人と別の1名をペアにして、1つの業務を一緒に改善させてください。

3-4. AIを作業代行ではなく、反論相手として使わせていますか?

AIが提案書や顧客向けメールを自動生成できるようになると、その出力をそのまま使う運用が生まれます。しかしそれを続ければ、提案の質は業界平均に収束していきます。競合他社も同じモデルを使っているからです。

ペン氏が「反論してくれるからこそ自分が良くなる」と語っているとおり、AIの価値は、あなたの仮説を鍛えるところにあります。同僚に求めるのと同じです。アイデアがまだ固まっていないときに反論してくれる同僚こそ、価値がある存在です。

アクションは、AIの出力をそのまま顧客に出すことを禁じ、「自分の仮説をAIにぶつけ、反論させたうえで提案を仕上げる」プロセスを標準化することです。大企業の経営層から高額のアップセルを引き出すのは、無難で整った提案ではなく、鋭い視点と説得力です。

同時に、2-3で触れた区別も忘れないでください。考えることに価値がある提案書は、自分のPOVから始める。書くことに価値がない社内報告は、完全に委ねて検証に回る。この2つを分けることで、時間の配分が変わります。

明日からできること:
提案書レビューの確認事項に、「AIに一度反論させたか。その反論に何と答えたか」を1行追加してください。

3-5. 経営者自身が「使う側」に立っていますか?

ペン氏は、良いマネージャーであるためには自分自身がハンズオンである必要があると明言しています。経験豊富な人材にも若手と同じオンボーディングを課し、自身も1本から2本のワークストリームを持ち続けている理由は、判断の精度を保つためです。

AI活用を現場任せにしている経営層は、AI投資の妥当性を判断できません。どこまでできて、どこができないのかを自分の手で確かめていないからです。ジャギッド・エッジ、つまり能力がギザギザに伸びるという性質を踏まえれば、「AIにできること」は一般論では語れず、自社の業務に当てはめて確かめるしかありません。

アクションは、経営者・事業責任者自身が週に一定時間、自社の顧客データや提案書を使ってAIに触れる時間を確保することです。推進委員会を設置するより、はるかに効果があります。

明日からできること:
次の経営会議の資料の一部を、自分でAIに作らせてみてください。どこまでできて、どこができないかを体感することが、判断力の土台になります。

 

4. まとめ:日本企業は、この対談から何を持ち帰るべきか?

以上の内容を、3点に凝縮します。

1)顧客の声を、AIが扱える解像度まで翻訳する力がこれからの競争優位になるということです。「使いにくい」を「使いにくい」のまま渡す組織と、その80パーセントを占める原因まで特定して渡す組織とでは、開発の速度も、顧客に届く価値も変わります。

2)AI利用料を絞ることは、実験の数を絞ることだということです。管理すべきは消費額ではなく、そこから生まれた実験の数です。

3)AIに反論させ、自分の判断力を鍛え続けることが、人間に残る仕事だということです。AIが作れるものは無数にあります。そのうち、どれを作るべきかを決めるのは、これからも人間です。

ここまでの5つの問いのうち、最初の1つをもう一度お尋ねします。あなたの会社では、顧客の「使いにくい」という一言を、誰が、どこまで掘り下げているでしょうか。

ペン氏は、自分を10年間育ててくれた祖父の言葉を人生の指針として挙げています。

「どこまで行っても、常に次のレベルがある」。AIをめぐる状況は、これからも変わり続けます。だからこそ、答えを固定するのではなく、問い続ける力が組織に必要なのです。

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