AIの導入が加速するテック業界で、働く人々の意識はいま、かつてなく激しく揺れ動いています。
米国で約6,000人のテック業界従事者を対象に実施された大規模調査「テック社員の意識調査(Tech Worker Sentiment Survey)」2026年版では、AI時代の労働環境に関する衝撃的な実態が浮き彫りになりました。バーンアウト(燃え尽き症候群)はわずか1年で11ポイント増加し過半数に到達。キャリアへの楽観度は低下し、テック業界の誰もが自分の職種を他者に勧めません。
本稿では、この調査結果の要点を解説した上で、カスタマーサクセス(CS)組織を運営する日本企業の経営者・リーダーが「対岸の火事」で終わらせないために今から何をすべきかについて、筆者の考察を紹介します。
「テック社員の意識調査(Tech Worker Sentiment Survey)」とは、米国のテック業界で大きな影響力のあるニュースレターの1つ「Lenny's Newsletter」を主宰するレニー・ラチツキー(Lenny Rachitsky)氏と、リサーチリーダーのノアム・シーガル(Noam Segal)氏が共同で毎年実施している、テック業界従事者の意識に関する大規模定量調査です。
レニー氏は、元Airbnbのプロダクトマネージャーで、現在はプロダクト、グロース、キャリアに関する知見を発信するニュースレターとポッドキャストを運営しています。ノアム氏は、レニー氏のAirbnb時代のリサーチパートナーであり、その後Intercom、Twitter(現X)、Meta、Zapier、Figmaなどでリサーチリーダーを歴任した研究者で、認定コーチでもあります。
2026年の調査(第2回)では、プロダクト、エンジニアリング、デザイン、リサーチ、マーケティング、データ、セールスなど、テック業界のあらゆる職種から約6,000人の回答を収集しました。2025年の第1回調査では「バーンアウトしているが、楽観的(Burned out, but optimistic)」という4語で要約された業界の空気が、わずか1年で大きく変質したことが明らかになっています。
調査では「AIとの協働は、プロフェッショナルとしての自分自身の見方をどう変えたか?」という質問がありました。結果、テック業界の労働力がほぼ真っ二つに分かれていることが判明しました。
注目すべきは、この「AIアイデンティティの立ち位置」が、職種、役職、会社の規模など他のどの変数よりも、キャリアへの楽観度や仕事の満足度を強力に予測するという事実です。
統計的な効果量(コーエンのd)で見ると、この分断の影響は約1.55に達し、2番目に大きかった「創業者効果」(d ≈ 0.56)の約3倍です。要は、2026年のテック業界で働く人の幸福度を最も強く左右するのは、「何の仕事をしているか」でも「どの会社で働いているか」でもなく、「AIが自分のアイデンティティに何をしたか」なのです。
調査チームは、回答者がAIに対して抱く感情のパターンをクラスタリングし、4つのアーキタイプ(類型)を抽出しました。
1)意欲的な層(The Energized)41%:この層の91%が「ワクワクしている」、83%が「好奇心がある」と回答した、AIを全面的に受け入れている層です。ある回答者は「プロダクト開発がまた楽しくなった。遊園地にいるようだ」と表現しています。
2)葛藤を抱える層(The Conflicted)35%:この層の特徴は「ポジティブとネガティブの感情を同時に抱えている」(68%)ことです。AIを使って今まで以上に楽しくモノを作れている一方で、自分のキャリアがどこに向かうのか、最も大きな不確実性を感じています。
3)方向性を見失った層(The Disoriented)12%:この層を定義する感情は、「役割が絶え間なく変わり続けている」という方向感覚の喪失です。ある回答者は「私たちは産業革命前夜の農民のようだ。農業が長期的に賢明な選択だとわかっていても、進むべき明確な道筋が見えない」と述べています。
4)不満を抱く層(The Resentful)12%:この層は全員が「AIの使用を強制されていると感じている」と回答し、最も低い楽観度、最も低い職種推奨度を示しています。「テック業界は今、全体的にひどい状態だ。以前は、新しいテクノロジーをワクワクしながら活用していた。今は、『AIを使え、さもなくばクビだ』と言われる。そして、使っても解雇される。もう嫌だ」という声が象徴的です。
2025年の調査では45%だった「有意なバーンアウト(中程度以上の燃え尽き)」の割合が、2026年には56%にまで急増しました。たった1年間で、11ポイントの上昇です。4人に1人以上(26%)が「非常に」または「完全に」燃え尽きたと報告しています。
同時に、キャリアへの楽観度は55%から49%に低下しました。2025年の調査タイトルだった「バーンアウトしているが、楽観的」という言葉は、もはや当てはまりません。2026年の実態は「深刻にバーンアウトしていて、楽観的でもない」です。
興味深いのは、仕事そのものの楽しさは依然として高水準を維持していることです。43%が仕事を「非常に」または「極めて」楽しんでおり、約8割が少なくとも中程度以上に楽しんでいます。つまり、仕事は楽しいがペースに疲弊し、将来に不安を感じているという、矛盾した感情が共存しているのです。
ノアム氏はこの状態を、ニキル・シンガル(Nikhyl Singhal)氏の言葉を借りて「笑顔の疲弊(Smiling Exhaustion)」と表現しています。かつてのバーンアウトは暗く陰鬱なものでしたが、今のバーンアウトはAIによって再び創造の喜びを感じながらも、オフスイッチのない残酷なテンポに追い立てられ続けるという、新しいタイプの消耗なのです。
AI時代のテック業界では「AIに仕事を奪われる」という恐怖が最も大きいと思われがちですが、調査結果はその予想を裏切りました。「AIに仕事を失うこと」を恐れていると答えた人は22%にとどまり、恐怖のリストではほぼ最下位でした。
最も多くの人が選んだ恐怖は、「同じ給料でより多くの仕事を期待されること」51%。次いで「持続不可能なペースに追い込まれること」46%、「仕事の質が低下すること」41%と続きます。
つまり、テック業界の人々が本当に恐れているのは「搾取(スクイーズ)」です。AIが生産性を引き上げた分だけ、期待値がそのまま引き上げられ、その上昇分が追加報酬ではなく追加業務として跳ね返ってくることへの恐怖です。
たとえば、次のような回答者のコメントに恐怖の片りんが伺えます。
バーンアウトの急増、レイオフへの不安、業界に漂う悲観的な空気。これだけネガティブな状況にもかかわらず、AI自体への評価は驚くほどポジティブです。82%がAIによって仕事のパフォーマンスが少なくとも中程度以上に向上したと回答し、約半数が「非常に」または「極めて」向上したと答えています。
しかし、「良くなった」の中身を深掘りすると、その意味は想像と異なりました。人々が言う「良くなった」とは、「より多くのことをより速くできるようになった」であって、「アウトプットの質が上がった」ではなかったのです。
さらに懸念されるのは、AIの活用が思考力と判断力に及ぼす代償です。たとえば、次のようなコメントです。
ノアム氏はこの現象を「認知的腐敗(Cognitive Rot)」と呼びます。AIの初期出力をそのまま受け入れ、自分の判断を適用しなくなることで、思考への関与、自己効力感、仕事への主体性が徐々に崩壊していく状態です。同氏は、「AIに問題解決を任せるたびに、自己効力感と自信のベースラインが下がっていく。それは深刻な問題だ」と警鐘を鳴らしています。
生産性の向上は紛れもない事実です。しかし、仕事の質と、それを生み出す人間の思考の鋭さの両方が、代償を払っているのです。
調査では「今この業界に入ろうとしている友人に、自分の職種でのキャリアをどの程度勧めるか」というNPS(ネット・プロモーター・スコア)形式の質問があります。結果は衝撃的で、全体の平均NPSはマイナス39。過半数(53%)が、新しくこの業界に入ろうとする人に対して、自分の職種を積極的に避けるよう助言するという結果でした。
しかも、自分自身のキャリアについては楽観的だと答えた人の3分の1でさえ、自分の職種を他人に勧めていません。「水温はまあまあだけど、入ってこないほうがいい」という矛盾した心理です。
ノアム氏は、この現象を「はしご(Ladder)」に例えて説明します。AIという技術がはしごを下から順に登ってきている。はしごの上の方にいる人(シニア層・経営層)は、まだ自分の足場は安全だと感じている。しかし、下の段はAIによって引き抜かれつつあり、これから登ろうとする人には「このはしごには登らないほうがいい」と言わざるを得ない。実際、NPSスコアは、シニアIC(現場担当者)やスタッフレベルのマイナス49に対し、VPはマイナス23、創業者はマイナス5と、上位にいくほど数値が改善しています。
職種別では、デザイナーとリサーチャーが最もネガティブで、自分の職種を勧める意向が最も低い結果となりました。一方、セールスやPM(プロダクトマネージャー)は相対的にはまだましですが、それでもマイナス圏です。
同調査で2年連続して明らかになったのは、マネージャーの有効性(effectiveness)の影響力です。マネージャーの質は、バーンアウトの最も強力な予測因子であり、職種、会社の規模、AIへの感情のいずれよりも大きな影響を持っています。
データは明快です。「極めて有能なマネージャー」を持つ従業員は、そうでない従業員と比較して、仕事の楽しさが約65%高く、バーンアウトは劇的に低い水準にあります。
しかし、問題は供給側にあります。自分のマネージャーを「非常に有能」と評価した回答者はわずか26%。逆に37%が「有能でない」と評価しており、この数字は昨年からほぼ変わっていません。テック業界で最も強力な人材定着(リテンション)のレバーが、最も軽視されているのです。
ノアム氏は、組織のフラット化が進む現在のトレンドに対しても懸念を示しています。「創業者モード(ファウンダーモード)」の名のもとに階層を減らし、マネージャー1人あたりの直属の部下を増やす傾向が強まっていますが、AIによる「搾取(スクイーズ)」から現場を守り、業務スコープを適切に調整できるのは直属のマネージャーだけです。組織のフラット化がマネージャーの機能を弱体化させれば、バーンアウトの悪循環はさらに加速する可能性があります。
上述の調査結果を踏まえ、ここからは筆者の考察を紹介します。
まず、本調査はテック業界が対象ですが、カスタマーサクセスを実践することで売上成長を目指す日本企業にとって、極めて重要な示唆を含んでいます。テック先進国でいま起きている現象は、日本でAI導入が本格化するこれから数年の間に顕在化する可能性が非常に高い課題だからです。
調査に回答したテック社員の51%が、同じ給料でより多くの仕事を期待されることを最大の恐怖として挙げました。AI活用が進んだ現場の人間が抱く恐怖は、AI活用が進んだことの副産物といえそうです。つまり、これからAI活用が進む日本企業の現場でも確実に起きる問題です。
たとえば、カスタマーサクセス部門において、経営陣は、AIの活用が進めば「1人のCSM(カスタマーサクセスマネージャー)が担当できる顧客数が2倍になる」と期待しがちです。一方、現場はそれを「同じ給料での搾取」と捉え、強い恐怖とバーンアウトを感じるのです。
AIがもたらす効率化の恩恵が、そのまま「対応件数の増加(タスクの詰め込み)」に転換されれば、CSMのモチベーションは確実に低下し、最終的にはカスタマーサクセス業務の質の低下とCSMの離職という、事業収益にネガティブな形で跳ね返ってきます。
日本企業がとるべきアクションは、AIによる業務効率化で生まれた時間を、単なるタスクの増量に割り当てることをせず、代わりに、タスクの質に注目して慎重に再設計することです。例えば、顧客の経営層への提案や、複雑な業務変革のコンサルティングなど、顧客価値(LTV)を引き上げるための業務や、そうした高度な仕事ができるよう人材教育の時間を設計してください。そして、彼らの成果は評価(給与)に連動させることで、CSMのモチベーションの維持向上につなげることが必要です。
調査では、回答者の82%がAIで生産性が向上したと回答しながらも、「自分の脳が腐敗していくようだ」「十分深く考えなくなった」という声が数多く寄せられました。この問題は、業務にAIが関わる度合が高いほど、反復効果でより深刻化します。
たとえば、ハイタッチのカスタマーサクセス活動を担当する部門では、AIが顧客への返信メールを自動生成し、ヘルススコアのアラートを自動要約して対策をリスト化してくれるようになると、CSMはやがてAIの出力を「右から左へ流す」ことが増え、それを繰り返すことで、自ら深く考える力を失っていきます。特に、複雑な社内政治や課題が多いエンタープライズ顧客を担当するCSMの思考力が落ちることは、事業収益に対して致命的なリスクです。
日本企業がとるべきアクションは、CSMに対して「AIが出した分析結果に対して、あなた自身の判断とビジネスの文脈を踏まえた示唆は何か?」を常に問うプロセスを業務に組み込むことです。AIの出力を鵜呑みにせず、自らの頭で顧客の「真の成功」を考え抜く力を鍛え続けること、つまり意図的な負荷をかけ続けることが、AI時代において他社と差別化できる強いCS組織を作ります。
注目すべきは、同調査で2年連続、「マネージャーの質がバーンアウトの最強の予測因子」という事実が明らかになった点です。有能なマネージャーのもとでは、仕事の楽しさが65%高く、バーンアウトは劇的に低い。一方、自分のマネージャーを「非常に有能」と評価した人はわずか26%でした。
AI時代に組織のフラット化がいくら進んだとて、現場のCS担当者をAIのプレッシャーや絶え間ない変化から守り、心理的・物理的にサポートできるのは直属のマネージャーだけです。
日本企業がとるべきアクションは、今最も投資すべき対象が最新のAIツールではなく「マネージャーの育成」であると認識することです。CS組織のマネージャーに対し、部下の業務スコープを適切に再設定し、AIの使い方を共に模索し、バーンアウトの兆候を早期に検知するためのトレーニングを実施してください。有能なCSマネージャーを育成し、引き留めることこそが、優秀なCSMの離職を防ぎ、持続的な売上成長を達成するための最大のレバーなのです。
ノアム氏は、対談の締めくくりで、こう語っています。
最先端のAIや最高のモデルへのアクセスが、組織の成功を決定づけるわけではありません。その根底にあるのは人です。人間としての私たちは、人生で最も大きな変化の真っ只中にいます。ワクワクしながら疲弊し、希望を持ちながら恐怖を感じている。大抵、それらは同時に起きているのです。そして、私たちは皆、数年後もまだ自分たちの居場所があることを願いながら、この未来を作り上げる作業に参加しているのです。
この調査が日本企業の経営者やCS組織のリーダーに突きつけるメッセージは明確です。
AIは、正しく活用することで確実に業務の生産性を高め、収益成長に貢献します。しかし、テクノロジーへの投資だけでは、組織は持続しません。人間が抱く搾取(スクイーズ)への恐怖を防ぎ、認知的腐敗に抗い、優秀な頼れるマネージャーを育てること。テクノロジーと同じだけ、あるいはそれ以上に、そうした人材とその環境に投資する企業だけが、AI時代においても顧客の成功を実現し続けることができるのです。
あなたの会社のCS組織は、AIの導入と同じ熱量で、人材への投資を行っていますか?
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出典:Noam Segal and Lenny Rachitsky, "How tech workers are feeling in 2026: a workforce splitting in two," Lenny's Newsletter, July 7, 2026
Lenny Rachitsky, "How tech workers actually feel about AI in 2026 | Annual AI sentiment survey (Noam Segal)," Lenny's Podcast (YouTube), 2026