NRR(Net Revenue Retention:ネット収益リテンション)という指標をご存知でしょうか。SaaS業界では「究極のカスタマーサクセス指標」と呼ばれ、あらゆる経営指標の中で企業価値(バリュエーション)との相関が最も高い指標として注目を集めています。
今、多くの企業がサブスクリプション型をはじめとする「リテンションモデル」へ舵を切る中、NRRは業種を問わず理解すべき非常に重要な経営指標です。
本稿では、NRRの定義から具体的な計算方法、類似指標であるGRR(Gross Revenue Retention)との使い分けまで、実際の数字を使いながら丁寧に解説します。NRRが初耳の方はもちろん、既にご存知の方にとっても、計算の落とし穴やGRRとの目的の違いを改めて整理する機会になるはずです。
1. そもそも「リテンション」とは何か?なぜ今、注目されるのか?
リテンション率(リテンションレート)とは何を測る指標か
リテンションとは、カスタマーがプロダクトやサービスを「継続利用」することを意味します。そして、リテンション率(リテンションレート)とは、ある期間において、既存カスタマーがどれだけ継続してくれたかを測る指標です。
かつてのビジネスモデルは「売り切り型」が主流でした。製品を一度販売すれば、その取引は完結します。しかし今、SaaSに代表されるサブスクリプション型のビジネスモデルが広がり、「カスタマーに継続利用してもらう」ことが事業の収益基盤を左右する時代になりました。
この変化は、SaaS企業だけの話ではありません。製造業、金融、通信、メディアなど、多くの業界で「売り切り」から「リテンションモデル」への転換が進んでいます。保守契約、ライセンス契約、サブスクリプション契約など、形態はさまざまですが、共通するのは「カスタマーが契約を継続してくれなければ、収益が消える」という構造です。逆に、「カスタマーが契約を継続してくれると、収益が積み上がり続ける」という魅力的な構造です。
リテンションモデルにおいては、新規のカスタマー獲得と同等か、それ以上に「既存カスタマーの維持と取引拡大」が重要になります。そしてその実態を映す鏡が、リテンション率なのです。
なぜ「リテンション」がカスタマーサクセスの中心テーマになるのか
リテンションが注目される背景には、シンプルな経済合理性があります。一般に、新規カスタマーを獲得するコストは、既存カスタマーを維持するコストの5〜10倍と言われています。つまり、既存カスタマーを大切にするほうが、事業の効率は圧倒的に高いのです。
さらに、既存カスタマーが契約を継続するだけでなく、利用範囲を拡大(アップセルやクロスセル)してくれれば、新規の営業活動なしに収益が成長します。この「既存カスタマーからの収益成長」こそが、リテンションモデルの最大の魅力であり、その度合いを測る指標がNRRです。
2. チャーンとは何か?リテンションの裏側を理解する
チャーン(解約)の意味するところは何か
NRRを正しく理解するためには、まず「チャーン」という概念を押さえる必要があります。
チャーンとは、カスタマーがプロダクトないしサービスの利用継続を中止することです。カスタマーサクセスという概念が生まれたきっかけも、実はこのチャーン(解約)の防止にありました。
当時の状況は「リーキーバケツ(穴が開いて水が漏れるバケツ)」に例えられました。営業チームがせっせと水(新規カスタマー)をバケツに注ぎ込む一方で、バケツの穴から水(既存カスタマー)がどんどん漏れ出ていく。チャーンレートとは、バケツに入っている水の総量に対して、どれだけの水が流出したのかを測るシンプルな指標です。
チャーンにはどのような種類があるのか
チャーンレートは3種類あります。

1つ目は、収益ベースのチャーンレートです。ARR(年間定期収益)やACV(年間契約金額)の「金額」をベースに、失った収益の割合を計算します。月次で計算する場合はMRR(月間定期収益)を用います。
2つ目は、カスタマーベースのチャーンレートです。カスタマーの「件数」をベースに計算します。たとえば、A社100万円、B社50万円の2社から収益があるときにA社がチャーンした場合、カスタマーチャーンは2社のうち1社なので50%、収益チャーンは150万円のうち100万円なので67%と、同じ事象でもレートが大きく異なります。通常、チャーンといえば収益ベースの収益チャーンを指します。
3つ目の区分として、収益ベースのチャーンには「グロス」と「ネット」の2種類があります。両者の違いは、分子にエクスパンション(アップセルやクロスセルによる収益増)を含めるかどうかです。この区分はNRRとGRRの違いにも直結するため、次のセクション以降で詳しく解説します。
なお、チャーンはゼロであることが理想ですが、現実にはゼロになりえません。倒産、買収、事業撤退など、回避不能なチャーンが存在するからです。問題は、こうした不可抗力以外のチャーン、つまり回避可能だったチャーンです。それを見える化して先手を打ち、チャーンレートを最小化することが「チャーン管理」です。
3. NRR(ネット収益リテンション)とは何か?
NRRの定義:何を測る指標なのか
NRRとは、1年以上契約しているカスタマーのARRが、過去1年間にどれほど増減したかを測ることで、将来の収益成長を見通す指標です。
なお、米国では「NDR(Net Dollar Retention:ネット・ダラー・リテンション)」という呼び方も広く使われていますが、NRRとNDRは同じ意味です。本記事ではNRRに統一して解説します。
NRRのポイントは、単にカスタマーが「残ったかどうか」だけでなく、残ったカスタマーの取引額が「増えたか減ったか」まで含めて将来の収益性を評価する点にあります。解約による減少と、アップセルやクロスセルによる増加の両方を加味した「ネット(純額)」の指標なのです。
なぜNRRは「究極のカスタマーサクセス指標」と呼ばれるのか
米国SaaS界の著名な経営者であるデイブ・ケロッグ(Dave Kellogg)氏は、世界最大のカスタマーサクセスカンファレンス「Pulse 2021」のセッションで、NRRが究極の指標である理由を明確に語りました。
その最大の理由は、NRRが企業のバリュエーション(企業価値評価)を最も強く左右する指標だからです。ケロッグ氏が示したデータでは、複数の経営指標と収益マルチプル(企業評価が収益の何倍に相当するかを示す指標)との相関を比較した結果、NRRの決定係数(R2スコア)が最も高い0.4を記録しました。
注目すべきは、次点の「NTM Revenue Growth(次の1年間の収益成長率)」よりもNRRのほうが企業価値との相関が強いという事実です。つまり、多くの人が「収益成長スピードこそが企業価値を左右する」と考えがちですが、実はそれよりも、既存カスタマーのリテンション動向のほうが企業価値に強い影響を与えているのです。
NRRが重視されると、カスタマーサクセスに何が起きるのか
NRRが究極の指標として認知されることで、カスタマーサクセスの組織的な位置づけが大きく変わります。
ケロッグ氏は「NRRが重視されればされるほど、カスタマーサクセスが経営会議のテーブルに招かれる」と指摘しています。かつてカスタマーサクセスは「バケツの穴をふさぐ」役割、つまりチャーンの防止が主な仕事でした。しかしNRRが経営の最重要指標となった今、カスタマーサクセスは企業のバリュエーションを左右する存在として、経営上はるかに重要な位置にいます。
これはカスタマーサクセスにとって大きなチャンスであると同時に、責任でもあります。カスタマーが製品、営業、サービスに何を必要としているのかを深く理解し、その声を社内に届けて組織を動かしていくこと。それはカスタマーサクセスの権利であり、行使することはもはや義務なのです。
なお、ケロッグ氏の解説については、同セッションを取り上げたウェビナーの記事「究極のカスタマーサクセス指標"NDR"の持つ意味とは?」をぜひ併せてご参照ください。
4. NRRの計算方法とは?
NRRの計算式はどのようなものか
NRRの計算式は、実はとてもシンプルです。
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NRR = 期首時点の
カスタマーの期末時点ARR ÷ 期首時点のカスタマーの期首時点ARR
通常、NRRはARR(年間定期収益)を用いて計算しますが、MRR(月間定期収益)を用いる企業もあります。MRRを用いる場合は、まず1年以上契約しているカスタマーを特定し、彼らの「当月MRR」を分子に、「前年同月MRR」を分母に置いて、その割合を計算します。企業がIR資料などでNRRの数字を公表しているときは、計算式を脚注に表示しているので必ず確認するとよいでしょう。
具体的にどう計算するのか:計算例で解説
NRRはとても重要な指標ですので、架空の取引データを使った計算例で理解を深めましょう。
以下は、2020年度の期末時点のNRRを計算する例です。カスタマーA〜Fの6社について、取引状況は次の通りです。

- カスタマーA:期首ARR 100万円 → 期中に解約
- カスタマーB:期首ARR 100万円 → 期末に解約
- カスタマーC:期首ARR 100万円 → 変動なし、期末ARR 100万円
- カスタマーD:期首ARR 100万円 → 期中にアップセルし、期末ARR 170万円
- カスタマーE:期首ARR 100万円 → 期中にアップセルし、期末ARR 240万円
- カスタマーF:期中に新規獲得、期末ARR 100万円
NRRの計算ステップは3つです。
ステップ1:期首時点のカスタマーのARRを特定します。対象カスタマーはA〜Eの5社です。カスタマーFは期中に新規獲得したカスタマーで、「1年以上契約しているカスタマー」ではないため対象外です。A〜Eの5社の期首ARR合計は100+100+100+100+100=500万円です。
ステップ2:ステップ1のカスタマーの期末時点ARRを特定します。対象カスタマーはC〜Eの3社です。カスタマーAとBは期末時点で契約継続していないため対象外です。C〜Eの3社の期末ARR合計は100+170+240=510万円です。
ステップ3:ステップ2をステップ1で割り、1年間の増減率を求めます。510÷500=102%。これがNRRです。

NRRの計算で注意すべきポイントは何か
計算方法はとてもシンプルですが、間違いやすいポイントが2つあります。
1つ目は、期末を含む当期中に解約したカスタマーの扱いです。

計算例のカスタマーBは期末に解約しています。当期中ずっとプロダクト利用しARRも売上計上されましたが、期末に更新期日を迎え、残念ながら更新されず解約に至りました。「当期のNRR」というと、カスタマーBが期中に支払った収益を分子に含めたくなりますが、それは間違いです。NRRは将来の収益成長を見通すための指標だからです。期末に解約され、翌期には1円も収益がないカスタマーBのARRは分子には含めません。
2つ目は、期中に新規獲得したカスタマーの扱いです。

カスタマーFは期中に獲得した新規カスタマーで、期末時点で翌期のARRも確定しています。NRRは将来の収益成長を見通す指標ですので、カスタマーFのARRも分子に含めたくなりますが、これも間違いです。NRRは「1年以上契約しているカスタマー」を対象とした顧客基盤の収益力を測る指標です。期中の新規カスタマーはNRRの計算対象に含めません。
NRRが100%を超えるとはどういう状態か?
NRRは100%を超えるかどうかで、大きく意味が異なります。
NRRが100%以下の場合、顧客基盤の収益力が弱まっていることを意味します。つまり、過去と同額の収益を出し続けられない状態です。新規獲得で補わなければ、売上は減少していきます。
NRRが100%以上の場合、顧客基盤の収益力が維持・強化されていることを意味します。既存カスタマーだけで収益が成長する、つまり収益成長の源泉になっている状態です。
計算例のNRR 102%の中身を見ると、カスタマーAとカスタマーBの解約で収益を失う一方、カスタマーDとEのアップセルで収益を拡大し、相殺した結果プラスになっています。新規カスタマーを1社も獲得しなくても、既存カスタマーだけで収益が2%成長する力が顧客基盤にあるということです。
この状態は「ネガティブチャーン」とも呼ばれます。通常、チャーン(解約)は収益の減少を意味しますが、エクスパンションによる増加分が解約による減少分を上回ると、ネットで見たチャーンがマイナス、つまり「ネガティブ(負の)チャーン」になるのです。リテンションモデルにおいて、ネガティブチャーンの達成は理想的な状態と言えます。
5. GRR(グロス収益リテンション)とは何か?NRRと何が違うのか?
GRRの定義と計算式はどのようなものか?
GRR(Gross Revenue Retention:グロス収益リテンション)とは、期首時点のカスタマーのARRのうち、期末時に維持できた割合を測る指標です。NRRとの最大の違いは、エクスパンション(アップセルやクロスセルによる増分)を含めないことです。
GRRの計算式は次の通りです。
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GRR =(期首ARR − 期中に失ったARR)÷ 期首ARR
NRRの計算式と見比べてみましょう。
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NRR =(期首ARR − 期中に失ったARR + 期中に増えたARR)÷ 期首ARR
違いは一目瞭然です。
NRRには「期中に増えたARR」が分子に加わりますが、GRRには含まれません。つまり、GRRは「純粋にカスタマーを維持できたか」だけを見る指標であり、NRRは「維持に加えて拡大できたか」も含めて見る指標です。
GRRの上限は100%(1社も解約せず、ダウングレードもなかった場合)ですが、NRRにはこの上限がありません。エクスパンションが大きければ、NRRは100%を大きく超えることもあります。
具体的な計算例でGRRとNRRの違いを確認する
具体的な数字で両者の違いを確認しましょう。
ある企業の非常に簡略化した年度情報が以下の通りだとします。
- 1年以上継続しているカスタマーの期首ARR:6,200万円
- 同カスタマーの解約ARR:62万円
- 同カスタマーの買い増し(エクスパンション):310万円
- 同カスタマーの期末ARR:6,448万円(= 6,200 − 62 + 310)
GRRは、期中に解約したARRを期首ARRで割って求めたチャーン率を100からマイナスして求めます。具体的には、チャーン率は62万円÷6,200万円=1%。よって、GRRは100%−1%=99%です。
NRRは、期中のエクスパンションを加味した期末ARRを使います。具体的には、NRRは6,448万円÷6,200万円=104%です。
GRR 99%は「1%の解約があった」というリスク面の事実を示し、NRR 104%は「解約を上回る拡大があり、顧客基盤の収益力は純増した」という将来の収益性に関する事実を示しています。同じデータから計算しても、両指標が伝えるメッセージが異なるのです。
なぜGRRとNRRの両方が必要なのか?
「NRRだけ見ていればよいのでは?」と思われるかもしれません。しかし、答えは「両方必要」です。なぜなら、GRRとNRRでは利用する目的が異なるからです。
GRRは「リスク管理能力」を測る指標です。アップセルやクロスセルの巧拙に左右されず、純粋にカスタマーを維持する力を計測します。たとえば、解約が多くてもアップセルで補えていればNRRは高水準を維持できます。しかしそれは、「穴の空いたバケツに大量の水を注いでいる」状態であり、持続可能とは言えません。GRRを見ることで、NRRに隠れたリスク管理能力を測ります。
NRRは「顧客基盤の将来の収益成長力」を測る指標です。チャーン管理だけでなく、アダプション管理、つまりカスタマーの成功に向けた提供価値を追求することで自社の事業収益を最大化する取り組みの成果が、NRRに表れます。カスタマーサクセスチームがエクスパンションの一翼を担っているなら、チームの成果を総合的に確認するためにNRRを計測することは非常に大切です。
また、他社とのベンチマーク比較には、GRRが好まれます。なぜなら、エクスパンションの余地は価格モデルや事業モデルに大きく依存するため、NRR同士を単純比較しても公平な評価にならないことがあるからです。GRRであれば、純粋な顧客維持力として比較しやすくなります。ただし、ACV(年間契約金額)が自社と同等の企業とベンチマークする必要がある点には留意が必要です。
つまり、GRRで「守り」の健全性を確認し、NRRで「攻め」を含めた総合力を確認する。両方を見ることで、カスタマーサクセスの実態が立体的に見えてきます。
6. NRRのベンチマーク:何%を目標にすべきか?
B2B SaaS企業のNRRはどの水準か
NRRを計測し始めると、次に気になるのは「自社のNRRは適正水準なのか?」という問いです。
2021年にB2B SaaS企業約800社を対象にした調査によると、NRRの中央値は105%でした。もしあなたの会社がB2B SaaS企業なら、ARRの規模が小さくても大きくても、NRRが105%以上であれば「合格」と言えそうです。興味深いことに、NRRの中央値はARRの規模によらず100%〜110%の間に収まっていました。
また、同年の公開企業のNRR平均値は111%というデータもあります。上場を目指す企業にとっては、より高い水準を目指すことが求められるのでしょう。
成長ステージ別のNRR目標値はどう設定するのか
ケロッグ氏はPulse 2021のセッションで、各種データと自身の経験を踏まえた成長ステージ別のNRR目標を提示しました。「Good(目指すべき水準)」で見ると、グロース期が105%、IPO直前や公開後は110%です。
加えて、Minimal(最低限クリアしたい水準)、Very Good(ここまでいけたら素晴らしい水準)も示されており、自社の成長ステージに応じた目標設定の参考になります。
事業モデルや価格モデルによってNRRはどう変わるのか
NRRの水準は事業モデルや価格モデルによっても大きく異なります。2021年のケロッグ氏のセッションで紹介されたベンチマーク企業のNRRは次の通りです。
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Workday(ワークデイ):100%。前払いの大型長期契約が基本モデルのため、エクスパンション余地が構造的に小さい。
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HubSpot(ハブスポット):102%。SMB(中小企業)を数多く開拓する営業モデルのため、チャーンが比較的高くなる傾向がある。 - Slack(スラック):123%。Freemiumモデル、つまり小さく始めて大きくするモデルのため、NRRが高くなりやすい。
- Twilio(トゥイリオ):133%。Snowflake(スノーフレイク):168%。両社に共通するのは、ランド・アンド・エクスパンド戦略を徹底している点です。
このように、同じ「SaaS企業」でもNRRの水準には大きな幅があります。
自社のNRRを評価する際は、単に数字の高低を見るのではなく、自社の事業モデルや価格モデルに近い企業と比較することが重要です。
最新のNRR水準は何%か
本稿を執筆している2026年、マーケットでは「SaaSは死んだ」ともいわれる辛い時期を経験した現在のNRR水準はどうでしょうか?
SaaSをはじめとする成長テクノロジー企業への投資に強みを持つ米国のベンチャーキャピタル Meritech Capital が提供するSaaS・ソフトウェア企業向け分析サービスによると、公開SaaS企業の2026年1QのNDR(=NRR)中央値は 109%です。

ケロッグ氏の2021年セッションから数年がたち、AI企業の台頭など市場環境が大きく変わった今でも、NRRのベンチマーク水準はほぼ同じです。
7. NRRはSaaS企業だけの指標か?日本の大企業への示唆
リテンションモデルを推進する企業になぜNRRが不可欠なのか
NRRは確かにSaaS業界で生まれた指標です。しかし、その本質は「既存の顧客基盤がどれだけの収益力を持っているかを測る」ことにあります。この問いは、SaaS企業に限らず、リテンションモデルで事業を運営するすべての企業にとって本質的な問いです。
保守契約やサポート契約で定期収益を得ている製造業、契約更新型のサービスを提供する金融機関、サブスクリプション型に転換しつつあるメディア企業。こうした企業にとっても、NRRは自社の顧客基盤の健全性を映す、最も信頼できる鏡になります。
日本市場においてNRRが持つ意味とは
日本のB2B領域に投資するベンチャーキャピタルDNX Venturesの湊雅之氏は、「カスタマーサクセスは日本企業の救世主だと思っている」と言います。その背景には、日本市場全体が縮小する中で、既存カスタマーにいかにファンになってもらい、もっと使っていただけるかが死活問題だという現実認識です。
この問題意識は、SaaSスタートアップだけでなく、大企業にもそのまま当てはまります。新規開拓だけで成長を維持することが難しくなる中、既存カスタマーからの収益をどれだけ維持・拡大できるかは、事業の持続可能性を左右するテーマです。
そして、そのテーマの進捗を測る指標がNRRです。NRRを測ることは、カスタマーサクセスの取り組みを「なんとなく頑張っている」という定性的な活動から、「数字で語れる経営テーマ」へ引き上げることを意味します。
何から始めればよいのか
NRRを経営に活かすための第一歩は、NRRを「測れる状態」にすることです。そのためには、カスタマー別のARR(またはMRR)を、期首と期末で比較できるデータ基盤が必要になります。
現時点でNRRを計測できていない企業にとって、以下の問いが出発点になります。
自社は、カスタマーごとの定期収益を正確に把握できているか? 既存カスタマーの解約額と、既存カスタマーからの増収額を区別してトラッキングできているか?
こうしたデータ整備は一朝一夕には進みません。しかし、NRRを測り始めることで、カスタマーサクセスの活動が経営にどれだけ貢献しているかが可視化され、経営会議の議題が変わり、組織の動き方が変わっていきます。
8. おわりに
本記事では、NRRについて以下の大切なポイントを解説しました。
1. NRRとは、1年以上契約しているカスタマーのARRの増減を測ることで、将来の収益成長を見通す指標です。あらゆる経営指標の中で企業価値との相関が最も高く、「究極のカスタマーサクセス指標」と呼ばれています。
2. 類似指標であるGRRは「純粋な顧客維持力(リスク管理能力)」を測る指標であり、NRRは「エクスパンションを含めた顧客基盤の収益成長力」を測る指標です。両者は利用する目的が異なるため、どちらか一方ではなく両方を見ることで、カスタマーサクセスの実態が立体的に把握できます。
3. NRRは、SaaS企業だけのものではありません。リテンションモデルで事業を運営するすべての企業にとって、顧客基盤の健全性を映す最も重要な指標です。
あなたの会社の顧客基盤は、来期も同等以上の収益を生み出す力を持っていますか? その答えを教えてくれるのが、NRRです。まずは社内データを用いて計測してみてください。